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現在進行中  初霞の巻 

発句 春 白き峰越え来る里は初霞    花見川濤青
脇句 春 迎えに添える丹精の梅     小倉庵不易
相伴 春 蕎麦湯にも打ち手の気合い春の雪 浦霞影左
 四 秋 「鍋始めました」で、街の秋   青
 五 秋 此処彼処さだめなき世の落葉かな 易
 六 月 月明るくて居酒屋はしご     左
 七 雑 松前へ明日いちばんの北航路   易
 八 雑 祝儀盛り上ぐ伊万里の大皿    青
 九 春 角隠し春風なみだ小津映画    左
 十 春 遅日が繰らすセピアのアルバム  易
十一 花 声が降る花散る丘の始業式    青
十二 雑 モンスターママ教室に来る    左
十三 夏 上々の首尾にも遺恨麦の秋    易
十四 雑 サリンジャー逝きひとり飲む   青
十五 雑 横綱の重みを偲ぶ栃若時代    左
十六 秋 物を思はむそれぞれの秋     易
十七 月 名月や尖る心の溶けぬ夜     青
十八 秋 寝覚の床に蓼の花摘む      左
十九 雑 マイファニーバレンタインさあいつはね  青
廿  雑 二合斗りの米を炊く男(ひと)  易
廿一 夏 細身なり女性大食いこいのぼり  左
廿二 春 おぼろ月夜に鳴く鳥は何処    青
廿三 花 年足るゝ洞の栖(すみか)や花の蔭  易

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廿四 春 春の祭りに太鼓叩く児 左

このところ与野党もこの花の季節に政策を忘れ、小鳩内閣は宇宙遊泳中なんて揶揄されても反応無し。さて、挙げ句を仰せつかりましたので、このあたりで、選挙政権ばかりが目的の大人どもの目を覚まさせてやりたいと太鼓を子供に叩かせましょう。

廿三 花  年足るゝ洞の栖(すみか)や花の蔭   易
廿四 春  春の祭りに太鼓叩く児   左

徽宗皇帝描きし山鳩は、まろやかで厳かな気品におわしますゆえ、近くで太鼓なんぞを叩いて驚かしては芸がございません。ここは、隣村の春祭りくらいの距離感で、子供らが、祭りの主役を演じて懸命に無心でふるさと共同体を盛り上げようとして叩く太鼓ということにしておきます。この程度の音量であれば、高貴な山鳩も「くーっ!」と遠鳴りの祭り囃子に和して鳴いてもくれるでしょう。  
いかがでしょうか?

影左   拝
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廿二 春 おぼろ月夜に鳴く鳥は何処   青

ぎゃるそね、とキーボードに打ち込めば、ちゃんと”ギャル曽根”と出て来るじゃーありませんか。
大食いタレントなるものは一世を風靡する感ありです。
ホッソリした娘とのデートは財布と相談ですな。
難しい句の後で、しかも花前ですので、トホホで、いきます。

廿一 夏 細身なり女性大食いこいのぼり     左
廿二 春 おぼろ月夜に鳴く鳥は何処       青

春の夜の生暖かい中、朧月が出ている時分になって、鳥が鳴くなんて、おかしな事もあるもんだ。
鳥は何処にいるのかえ。
妙なのは、近頃の女の子も、そうだねー。人前で何はばからず大飯を喰らうんだからね。まったく。
おや、内の子は何処へ行ったんだい。
また台所で食べてるのかい。まったく。

桜の前に月では、役が揃いすぎのきらいがありますが、まずはお目こぼしを。
いかがでしょうか
お粗末でした。これにて私めのお務め終了になります。
青 拝

廿一 夏 細身なり女性大食いこいのぼり 左

宗匠さま涛青さま

 さて、宗匠さまの〈米を炊く男〉の様子は、失恋の痛手か、
自由気侭な生活ぶりかいろいろに想像が働きますが、
当世風に見ますれば、食事をつくるのが男性で食べるのが女性と
いう逆転構図も浮かび上がって参ります。

廿  雑 二合斗りの米を炊く男(ひと) 易
廿一 夏 細身なり女性大食いこいのぼり 左

若い女性のおちょぼ口がもてはやされたのは、いつの頃のことだったでしょうか。
今日では、若くて細身で口だけが大口の女性が、よく大食い大会で
優勝を勝ち取ります。
五月晴れの大空を泳ぐ真鯉も緋鯉も空いた口がふさがりません。
はしたなさが、全面に出過ぎかとも思われますがいかがでしょう?

影左  拝

裏入り、頂戴致しました。

濤青さま、影左さま、大変遅くなり申し訳ありません。名残の裏入り、頂きます。

十八 秋 寝覚の床に蓼の花摘む 左
十九 雑 マイファニーバレンタインさあいつはね 青

スタンダードナンバーのジャズが、会話の邪魔にならないほどに流れる小さなバーのひと隅。友人か同僚か、二人がカウンターで肩越しに交わしている噂の人物とは一体どのようなお方なのでしょうか。オールディーズよりもさらにオールドなお話のようです。マイルスの抑制の利いた響きには、ついつい良質のスコッチに手が伸びてしまいます。 易抑制。

それでは、グレンリべットの勢いを借りまして、続けます。

十九 雑 マイファニーバレンタインさあいつはね 青
廿 雑 二合斗りの米を炊く男(ひと) 易

酒も飲まずに、煙草も遣らず、口説く訳でもさらになく、どうしてあんなにモテるんでしょうかねぇ、あのお方は。どうも女心はよく解りませんなぁ。

濃厚に恋の成就をとの御所望にございますが、寝覚め・床・花摘む・ファニー・バレンタインと、すでにかなり濃いぃ状況下にありますれば、当て障りなく少し変わった御仁の風体に仕立ました。其角師の句に対した蕉翁の諷戒の句からの寸借にてご無礼致します。
(角ガ蓼螢ノ句ニ和ス「朝顔に我は飯くふをとこかな」)

それでは、長らくお待たせしました、影左さま。秋季以外にてお続け下されますよう、よろしくお願い申し上げます。小倉庵敬白。

十九 雑 マイファニーバレンタインさあいつはね  青

では、十九句、名残の裏に入ります。

影左さまの難しいシチュエーションから、夢をつむぐのはなかなかシンドイです。

十八 秋 寝覚の床に蓼の花摘む         左
十九 雑 マイファニーバレンタインさあいつはね 青

”蓼食う虫も好き好き”なのは、余人には計り知れない男女の仲。

格好良くないけど、私には、お目当てなの。
どうせ、他人には分かりっこないさ。
おかしな人なんだもの。
私のファニー・バレンタイン。
寝覚めのベッドで、しみじみ、そう思うよ。

恋です。お次の方、濃厚な恋に成就して下されたく。
いかがでしょうか。


"My Funny Valentine"は、ジャズのスタンダードの名曲で、フランク・シナトラ、エラ・フィッツジェラルド、サラ・ヴォーンら錚々たるジャズシンガーが歌ってますが、趣向を変えて、弘田三枝子さんにご登場願いましょうか。なかなかいいですよ。

   弘田三枝子 My Funny Valentine

   


其の昔、パリのハリーズ・バーで、ピアノ弾きにリクエストして、弾いてもらいました。
上手い演奏ではなかったけど。
口直しに、お隣の、ジャズバーにハシゴして、もう一度女性のボーカル付でやってもらいましたが、フィルム・ノワールに登場するユーロピアン・ジャズは、どこへ行ってしまったのかと寂しい思いをしたことを思い出します。

かのマイルス・デイビィスも定番です。しみじみと・・・

   Miles Davis, My Funny Valentine
   

青 拝

折端、頂戴致しました。

影左さま、十八句、折端の句、頂きます。

十七 月 名月や尖る心の溶けぬ夜 青
十八 秋 寝覚の床に蓼の花摘む 左

姨捨から馬籠に抜ける木曾路の風情、綺麗にお纏め頂き有難うございます。また、軽妙な俳画解説まで添えて頂き、濤青さまの洒脱な挿絵とともに、一巻にいっそうの風趣を与えて頂けました。易 深感謝。

「寝覚の床」は、かの浦島太郎が、あの禁断の玉手箱を開けてしまった場所なのだそうですね。
『水鏡』によりますと、雄略帝の廿ニ年(478)七月に蓬莱山に旅立ったと『日本書紀』に記載されている水江浦島子が、淳和帝の天長二年(825)、三百四十七年ぶりに帰還したとありますが、さて、その後の太郎はといいますと、世間のあまりの変わり様と、変わらぬ人の愚かさに落胆し、尖る心が溶けぬまま諸国を放浪し、木曾の山中で「えぇい しゃらくせい」てんで、玉手箱を一気に開け放ってしまったそうです。内からパッと白煙、この世は夢か現か幻か、沢で摘んだ穂蓼のほろ苦さとピリッと仄かな辛味に瞬時は覚醒するも、太郎は忽ちお爺さん。蓋を開けずにもう少し脚を延ばせば、あの姨捨の田毎の月を見ることもできでしょうに。

知るや知らずや、蕉翁の『更科紀行』や子規先生の蕉翁追体験紀行『かけはしの記』には触れられていない、影左さまならではの俳味に溢れた、木曽の谷合いに咲く蓼の花の、淡い匂い香の付一句でした。

「草の戸に我は蓼くふほたる哉 其角」晋子先生も俳号からしてかなり尖ってますね。

では、お待たせしました。濤師、いよいよファイナルラップ、名残の裏入りにございます。よろしくお付け運びのほど、お願い申し上げます。 小倉庵敬白。

十八 秋 寝覚の床に蓼の花摘む   左

宗匠さま涛青さま

 それでは、気を鎮めて十八句秋を参ります。

十七 月 名月や尖る心の溶けぬ夜 青
十八 秋 寝覚の床に蓼の花摘む  左

  Nezame1.jpg

  
  芭蕉 寝覚の床
  クリックすると大きい画像が開きます


  Nezame3.jpg


 去年から今年にかけては世の中の出来事に尖らない日はありませんでした。
そんな日の夜には、溶けない心はすっぱり忘れて風呂にでも入り
100円ショップで見つけた新発売の発砲酒でも飲んで寝ましょう。
目覚めれば新しい朝が待っています。
 欲も見栄も忘れて、それぞれの幸せを味わう、そんな幸せの日々があるのです。

宗匠さま、いかがでしょう。

影左  拝

…続きを読む

月の句、頂きました。

濤青さま、月の句頂戴致しました。有難うございます。

十六 秋 物やは思はむそれぞれの秋 易
十七 月 名月や尖る心の溶けぬ夜 青

まんまるなお月さまの円に対して、鋭角的なこころ模様を配した線の描写が、秋の夜の清澄さを感じさせてくれます。
ただならぬ心の襞が疼く内実とは裏腹に、良夜は煌々と更けてゆきます。
「嘆けとて月やは物を思はするかこち顔なる我が涙かな 西行」
まあまあ、そう尖んがらがらずに、気をお鎮めくだされませ。

それでは、影左さま。秋の句をもう一句お続け頂けますよう願いあげまする。易拝礼

十七 秋 名月や尖る心の溶けぬ夜   青

では、急ぎ、十七句まいります。

最近は、物を思えば、
マニフェストは破るわ、
外交は、ふらふらだし、
年金は削られるわ、
利子は付かないわ、
トヨタの社長は逃げ腰だわ、
行き場のないうつうつが、次第に尖りはじめてきています。
名月を見てもおそらく心は平になりますまい。

   A.jpg

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十六 秋 物やは思はむそれぞれの秋       易
十七 秋 名月や尖る心の溶けぬ夜        青

いかがでしょうか。
青 拝

十六 秋 物やは思はむそれぞれの秋 易

ご両所さま。またまた間を空けてしまいました。スミマセン。易 絶不調。
櫻の塩梅が気にかゝり、三・四月の思い入れにて日々漫ろなる物思い、季節の病にて申し訳ありませぬ。ご賢察のほど願い上げまする。取り敢えずの遣句にて御無礼失義。

十五 雑 横綱の重みを偲ぶ栃若時代 左
十六 秋 物やは思はむそれぞれの秋 易

巨星堕つ、伝統(?)文化の継承。前二句、新聞の文化欄を見るような時事の装い。
「春が来たと大きな新聞広告 放哉」
近々の事柄に付随した惜日の俤の句が続きましたので、いっそ古歌仕立てで月を呼び出してみましたです。字足らず、字余りと来ましたので、いまひとつ変調を重ねて字余りで。易 不遜。
「月見れば千々に物こそ悲しけれ我が身一つの秋にはあらねど 千里」
四季の内でも秋の日はひと際ひと恋しくなる時候のようです。

次、こんなんで申し訳ありません濤師、名残りの月をお詠み頂けますよう願い上げまする。易 低頭平伏

十五句目、頂戴致しました。

影左さま、十五句目、頂きます。

十四 雑 サリンジャー逝きひとり飲む 青
十五 雑 横綱の重みを偲ぶ栃若時代 左

流れ去る時代の記憶は、うたかたにして美しきモノのみが残るようです。

「降る雪や明治は遠くなりにけり 草田男」

一時代を画した巨人たちにはひとしをの感慨が浮かびます。

酔いの回るにしたがって、文豪の死を悼みながら傾け始めたグラスの縁には、いつしか良き時代の俤が次々に浮かんでは消えてゆきます。
「栃若」の四股名とはまさに時代の春秋を代表する「錦」と「花」だったのですね。

つづき、月前の句。迂生の手番ですが、今暫しのご猶予を、ひらに。 易 平伏

十五 雑 横綱の重みを偲ぶ栃若時代  左

 人気絶大だった「ライ麦畑でつかまえて」は、日本の当時の多くの若者の心をも捉まえたようですが、モンゴルから来たとんがり横綱は捕まりそうで捕まらず、捕まる前に引退。ひとり残された同郷の横綱は来場所からひとり横綱の責任重大です。相撲が神事から出発したなんてモンゴルの暴れん坊さんには理解の埒外だったようです。こうなると思い起こされるのが栃若時代の土俵の熱気ですね。

十四 雑 サリンジャー逝きひとり飲む 青
十五 雑 横綱の重みを偲ぶ栃若時代  左

 サリンジャーにしろ、巨星がおちるとその光芒がまぶしく輝いて見えるものですからひとり飲む酒もそれなりの味わいに浸れますが、朝青龍のような横綱が消えると、後味が苦い。そうなると偲ばれる栃錦、若乃花時代です。
雑つづきになってしまいましたが、いかがでしょう、宗匠さま。

影左  拝
 

十四句、頂戴しました。

ニューハンプシャーの麦畑。どのような景観なのでしょうか。隠遁の日常とそれに相応しい土地の環境を、勝手に思い描いて楽しませて頂けました。

十三 夏 上々の首尾にも遺恨麦の秋 易
十四 雑 サリンジャー逝きひとり飲む 青

世界的ベストセラーの上々の首尾にも、最後まで納得のゆかないところがお有りになったのでしょうか。迂生のような者には到底図りかねる事柄なのでしょうね。

ご冥福を心よりお祈り致します。易 献盃

それでは影左さま、お続け頂けますよう、お願い申し上げます。易 低頭。

十四 雑 サリンジャー逝きひとり飲む       青

「麦秋」って、小津安二郎の映画にありましたっけ。
とにもかくにも麦畑です。

十三 夏 上々の首尾にも遺恨麦の秋       易
十四 雑 サリンジャー逝きひとり飲む       青


遺恨を持って、麦畑でつかまえます。

折しも『ライ麦畑でつかまえて』のJ・D・サリンジャーが逝きました。
51年の小説ですから、半世紀。

      Salinger90.jpg


サリンジャーは、50年というもの引退していたそうですね。すごい!
中国の隠者みたいですな。

サリンジャーを偲んで飲む酒は、もちろんライウイスキー。
時代を重ねたほろ苦い味がします。

即物的ですが、いかがでしょうか。

青 拝

十三 夏 上々の首尾にも遺恨麦の秋 易

ご両所さま。お待たせ致しました。名残の表に入ります。易 恐々謹厳。

十二 雑 モンスターママ教室に来る 左
十三 夏 上々の首尾にも遺恨麦の秋 易

刈入れ時の繁忙な周囲をしり目に、黄金色の畑をよぎって町中の鼻摘み者が行く。
首尾よくいったのはクレーマーのママなのか、受けて立った先生方なのか。
どこか納得のゆかぬ不完全燃焼。互いに遺恨を残したらしき暑き一日。
畑の人は畑の人で、麦の出来が上々ゆえの穫り入れ作業の倍苦労。加えて、今年のこの暑さはいったい何なんだ。

長考のわりには何とも愚案で申し訳ありませぬ。お目こぼしのほどを。
それでは濤師、次句にて由なにお締め直しのほど、ひとえに。易 恐々平伏。

十二句、頂きました。

影左さま、速攻のお付けを頂きながら遅くなりましてご無礼致しました。
また、毎回の台紙清書の労、お手数をお掛けしております。易 感謝深甚。
十二句、折端、頂戴致します。

十一 花 声が降る花散る丘の始業式 青
十二 雑 モンスターママ教室に来る 左

遠景の小学校から屋内の教室の様へ。遠い昔への追憶から現在の厳しい現実へと転じて頂きました。
ガラッと扉を開け放ち教室に入って来るご高名のママさん。ダースベーダーのテーマメロディが聞こえてきそうです。この穏やかな花散る丘の小さな学校に、いったい何が起ころうとしているのでしょうか。なにやら不穏な展開です。
病める現代社会の一面を鋭く抉る問題作、有難うございました。

微・苦・艶・冷笑。いくらか斜めに構えたウィットに富む風刺や笑いは、連句を観る時の楽しみのひとつでもあります。

老僧の顔を仏師に見せて置く 乙由
来る秋は風ばかりでもなかりけり 北枝
口切や北も召れて四畳半 蕪村

川柳になる一歩手前で打返す。笑いの質の高低はともかく、連句・俳諧に「滑稽」なるもの「笑い」は不可欠な要素のようです。

次句、笑いの内にも憂慮すべき現実を突きつけられ苦吟致しおります。今暫しお待ちあれかし。スイマセン。易 恐縮低頭

十二 雑 モンスターママ教室に来る  左

 セピアの写真から小学校へ。何か懐かしの世界に心地よく浸って心が温まり気分が弛んで来たところに、突如現実社会の断面が切り込んでくるなんてことが、よくありますね。十二句に、来ました来ました、モンスターママ。

十一 花 声が降る花散る丘の始業式  青
十二 雑 モンスターママ教室に来る  左

 学校で、怖いものと言えば、ちょっと前までは、学校のコワイうわさ花子さんがきたなんてのがありましたが、最近もっとコワイモンスターペアレンツと名乗る怪物がいるそうです。なかでも、モンスターママにかかったら、新人教師なんか、3日で登校拒否。時代が変わったのか、学校が変わったのかわかりません。
 花降る丘から、現代教育問題に直滑降は、すこし激しすぎでしょうか?宗匠さま。

影左   拝

花の句、頂きました。

濤青さま、お早いお付けで痛み入ります。花、頂戴いたしました。

十 春 遅日が繰くらすセピアのアルバム 易
十一 花 声が降る花散る丘の始業式 青

婚礼の様から進学の風情へ転じて、アルバムの中から在りし日の新学期の様子を取り出してくれました。花の散りしく明澄さと健やかな子供らの声が谺します。

濤青さまには珍しく写生句仕立てですね。
さまざまな“式”は人生の要所要所の区切り目、人の一生を句にすると
「入学式、結婚式にお葬式 正岡しき」となるそうですな。
正岡式の俳句をおやりになる方々の間では、写生写生とやかましく云われるそうですね。心象を表すのに必ずしも実景、実写に拘泥しなくともよいのではとも思いますが、其筋の方々にとってはいろいろと難しい事があるのでしょうね。よく知りませんが。

その点、連句は、出合い頭の前句に付けて物語を紡ぎだすわけですから、短編小説やショートショートのような虚構の醍醐味がありますね。まっ、つくり話や絵空事の愉しみですかね。(連句をなさる方は嘘吐きと云う事ではありません。蕉翁はじめ先達には生真面目な多くの名人がおられます。為念)

添えて頂きましたお写真もうれしいです。セピア処理もほどよく効いて。
どこかのTV番組でフォト俳句とか云うものがありました。解釈が限定されてしまう憾みはありますが、面白い趣向です。
全く私見ですが、句だけを取り出すと、写真に句を付けたものより、句が先にあるほうが広がりがあるように感じますが、どうでしょう。(これまた、どちらが先かは推測の限りのいい加減な事で恐縮なのですが。)
アニメーション映画『冬の日』のように、そのうち出るやも知れません3D連句などが登場すると楽しいでしょうねぇ。

それでは、長々とお待たせしました影左様。二度目の折端をよろしくお願い致します。
易 平伏

十一 春 声が降る花散る丘の始業式   青

セピア色した、あの人は・・♪
じゃなくて、セピア色したのは卒業アルバムの写真の中のあの人、でしたね。
中年になると、切なく聞こえる、ユーミンのあの歌です。
TVコマーシャルで、胸キュンになった方もいらしたでしょう。
ことほどさように、セピア色は、卒業アルバムと切り離せません。

十  春 遅日が繰くらすセピアのアルバム    易
十一 春 声が降る花散る丘の始業式       青

町のどこからも見える小高い丘にある小学校。今日は休み明け、始業式で、久々にはじける子供たちの声が、町に振り降りてきます。
校舎は、この時期は、見事な桜並木でぐるりと取り巻かれています。

故郷の小学校


故郷のこの小学校を巣立った同級生には、今はセピア色したアルバムを繰らないと会えません。

いかがでしょうか。

青 拝

十 春 遅日が繰くらすセピアのアルバム 易

影左さま、遅くなりまして申し訳ありません。九句目頂戴いたしました。

八 雑 祝儀盛り上ぐ伊万里の大皿 青
九 春 角隠し春風なみだ小津映画 左

前句を婚礼の景に転じて頂き、さらに父娘の情愛をも喚起する風情。結構に存じます。
「角隠し・春風・涙・小津映画」と単語だけの連なりで結んでいるのが、かえって句にリズムを与え余情を創りだしています。この句の眼目はやはり「小津映画」でしょうね。上五・中七の言葉が「小津」の一語で鮮明な物語となりました。頂戴します。

九 春 角隠し春風なみだ小津映画 左
十 春 遅日が繰くらすセピアのアルバム 易

続けさせて頂きました。迂生にとりまして小津監督は伝説の巨匠で、作品の多くが未見ですのでおこがましく語る事はできませんが、ローアングルからの抜けるような空と絹布のような浮雲が印象的な断片として想いおこされます。
小津映画を語れないので、前句の趣を春の遅き日がなせる感傷として、結婚、卒業、青春の日の映画と、アルバムの一コマづつに分断してしまいましたが、いかがでしょうや。
代表作とお聞きしておりますタイトルから、「麦の秋」など思いついたのですが、「麦秋」は夏の季語でつながりませんでした。易残念

それでは、お待たせしました濤青さま。枝折りの花をよろしくお願い致します。
花前での字余り、苦吟の末の不調法、お許しあれかし。易平伏。

九 春 角隠し春風なみだ小津映画

お目出度い祝いの八句が、華やかな伊万里の大皿が添えられてがやってきましたので、目出度さ華やかさの中の影にも
父娘の細やかな感情の交流を描き続けた小津映画が思い起こされます。
 
 八 雑 祝儀盛り上ぐ伊万里の大皿  青
 九 春 角隠し春風なみだ小津映画  左

 伊万里の大皿に盛られた幸せ一杯の料理が祝い客によって平らげられる。その美しさゆえに花嫁も、伊万里の大皿のご馳走も、いままでそこにあったものがなくなると寂しさがいや増しに増してきます。小津映画に繰り返された父と娘の思いやりが春の風に吹かれています。

 宗匠さま、よろしくお願いいたします。
影左  拝
 

八句目、頂きます。

濤青さま 八句目頂戴いたします。

七 雑 松前へ明日いちばんの北航路 易
八 雑 祝儀盛り上ぐ伊万里の大皿 青

“食は豊饒に満てり”大皿に盛られた料理の豪奢な様までが伝わってまいります。
「初鰹盛ならべたる牡丹かな 嵐雪」
伊万里の豪華な絵付けは、料理を食べ尽くした後も卓上の華やかさを失わせません。
ご祝儀の宴席にはもってこいの御器の内のひとつですね。

“盛り上ぐ”としたところが此の句の手柄。“伊万里の大皿”とこの宴席の情景をより一層華やかに浮立たせて見せてくれています。結構にございます。頂きました。

それではお続け下されませ、影左さま。
花の定座が近い事もありますので、秋季はお避け下さい。また、松前・伊万里と続きましたので、土地の名もなるべく外して頂けると有難いです。
よろしくお願い致します。 易低頭

八  雑 祝儀盛り上ぐ伊万里の大皿   青

松前船は北海道の産物、昆布や干ものを満載し、西国へ。
帰りは、空船にしないで、陶器や生活雑器を積んでの交易に従事したとか。
彼の地には、そうした往事の交易品が遺っているそうです。
伊万里の大皿もそうした名残。

この家の祖先が波濤千里の冒険で手に入れた伝説の伊万里の大皿。

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婚礼か、孫の節句か、祝儀事にはこの大皿にたっぷり盛りつけられた馳走が座を盛り上げます。
さて、ここからどういう物語が紡ぎ出されるのでしょうか。

七  雑 松前へ明日いちばんの北航路      易
八  雑 祝儀盛り上ぐ伊万里の大皿       青

またお酒が出てきそうですが。いかがでしょうか。宗匠さま。

七 雑 松前へ明日いちばんの北航路 易

影左さま 六句目戴きました。有難うございます。
「行く春を近江の人と惜しみけり はせを」
蕉翁にはひと際所縁の深い地でのお仕事、お疲れさまにございます。また、お忙しい
中、短句の折端にて月など所望致し、さらにお手数を煩わせました。易恐縮。

五 秋 此処彼処さだめなき世の落葉かな 易
六 月 月明るくて居酒屋はしご 左

前句と相まち“知らぬ同士が小皿敲いて”と三波先生のお歌が聞こえてくる様です。
ドッコイ、庶民は強いもの。月の明かりと赤提灯、世の中けっこう明るい感じです。

想い、情景が四句目から少し重なるようで打越ぎみではありますが、迂生の進行の不
手際から停滞ぎみの座のテンポを優先させて頂きました。易低頭。では続けます。

六 月 月明るくて居酒屋はしご 左
七 雑 松前へ明日いちばんの北航路 易

板子一枚の水手は給金前払い。明日の潮路は早朝なのに月の明りに誘われてついつい。

街中の情景が続きましたので、とりあえず船に乗ってみました。

それでは裏入り二句目、濤青さま、よろしくお願い致します。易平伏。

六 秋 月明るくて居酒屋はしご 左

 思いもよらぬ寒波に見舞われた日本列島は、先週震え上がりましたですね。滋賀県に仕事で出掛けておりましたので
六句目が遅れました。



 五 秋 此処彼処さだめなき世の落葉かな 易
 六 月 月明るくて居酒屋はしご   左

ヴェルレーヌのヴィオロンのため息の憂鬱がさだめなき世を見渡す実感が伝わる五句を繰り返し読むうちに、人生を振り返ります。思うままにならないのが世の中。定めなき世の落ち葉の行き先は、日本的、庶民的にはもっぱら赤提灯。月の引力に起因しますのか、とにかくうらぶれ人生を生きながらえるには、何かの引力に導かれて生きるのが一番。とくに赤提灯なんかの引力は相当なパワーがあると見えてついつい何軒もはしごします。月明かりの夜は特にその傾向があるのは、私だけでございましょうか?世の中ますます憂鬱にみえてきます。

宗匠さま、世の中を明るくして下さい。いかがでしょうか。
影左  拝

 

閑話休題  トラスト・ミー


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あやういこの二人の行方です。



句ではありません。

更新の間の賑やかしです。

青 拝

タイトルなし

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五 秋 此処彼処さだめなき世の落葉かな 易

濤青さま、四句目頂きます。有難うございます。

四句目は、子細に拘らず軽く速かに付け運ぶ位置のはずですが、脇・相伴と平坦になりました故に、申し訳なくも四句目で思い切った転じをとの無理難題にかくも応じて頂き恐縮にございました。

都会では季節の体感が稀薄ですが、“冷やし中華”をはじめ「○○始めました」は都会ならではの季節感です。

「蕎麦湯」「春の雪」「鍋」「街の秋」と季節盛り沢山で変化を付けて頂きました。お疲れさまでした。

では続けますです。

四 「鍋始めました」で街の秋 青

五 此処彼処さだめなき世の落葉かな 易

そろそろ欺瞞的ではありますが、ハケン村の準備も始めなければならない季節となりました。
(欺瞞的なのは、ハケン村を立ち上げる善意の方々の事ではありません。それを政の具として利用する政党、代議士連の事を指します。為念)

それでは影左さま。またまた恐縮ですが、三吟故に役の数を振分けました。短句ではありまするが「月」をお詠み下さいませ。

易 甚恐縮

四  秋 「鍋始めました」で、街の秋      青

では、といいながらも、大きく場面展開はなかなかいきませんが、

 相伴 春 蕎麦湯にも打ち手の気合い春の雪 浦霞影左
 四  秋 「鍋始めました」 で、街の秋     青


蕎麦屋がある街の通りの店先のあちこちには、「鍋始めました!!」の文字が躍る頃。

それを見て、秋の到来を知る都市生活者。

鍋


月の座が控えているので、思い切って季移りしましたが、いかがでしょうか。

青 拝

三句目頂きます

影左さま、相伴三句目頂きました。有難うございます。

コシの利いた新蕎麦の香りと梅の香りのコラボ。文字通り匂い付けですね。

「打ち手の気合い」には定年退職後の蕎麦打ちさん宅の試食会とは違って、何やら

剣客の真剣勝負のような気迫も感じられますね。

早春の座敷の風情を綺麗にまとめて頂きました。

「春の雪」が「白き峰」と打越しぎみにみえますが、発句の「来る」に脇句の「迎え」

が違付け風なので、三句では大きく転じなくてもよいと云う事にしてしまいましょう。

また、「蕎麦湯」は冬の季語ですが、「春の雪」と言い切っていますので、これも由

と云う事で、濤青さま、恐縮ですが四句目は大きく転じて下さいませ。 易 低頭
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